*写真は、クリックすれば拡大してご覧いただけます。*
平成30年4月8日 御岩神社にて 参集殿竣工祝いを兼ねて、奉祝祭が行われました。!
平成25年11月 川尻町の蠶養神社 修復にあたって、木鼻を彫りました。
平成25年8月、市内の客殿に飾る懸魚を彫らせていただきました。
本堂に隣接する場所に客殿が建てられました。
巾3尺6寸(約109㎝)x高さ1尺7寸(約51㎝)x厚み4寸(約12㎝)のケヤキ材で こしらえました。
2011年7月25日(月)付け 茨城新聞ニュース記事より
約100年ぶりに全面改修された「壱町目町内会」の屋台=ひたちなか市海門町1丁目
ひたちなか市那珂湊地区の「みなと八朔まつり」に参加する「壱町目町内会」の屋台(風流物)が東日本大震災を乗り越え、約100年ぶりに全面改修された。同地区は津波で甚大な被害を受け、祭りの開催も見送られたが、町内会が急ピッチで復旧作業を進め、まちの新たなシンボルを完成させた。土台となる柱の一部は黒ずみ、津波の爪痕を残すが、町の人々は「柱の汚れは歴史の証人。そのまま残して次世代に引き継ぎたい」と来年の晴れの舞台を楽しみにしている。
新屋台のお披露目は24日、同市海門町1丁目の屋台小屋前で開かれ、関係者約250人が竣工を祝った。
みなと八朔まつりは、那珂湊地区で300年以上続く伝統的な祭りで、旧町ごとの屋台や山車計12台が中心商店街を練り歩く姿が見どころ。
壱町目町内会によると、先代の屋台は1916年ごろに作られ、長年活躍してきたが、約30年前から老朽化が目立ち始め、94年以降は屋台を出せなくなったという。このため、同町内会は2007年ごろから、新たな屋台の製作に向け、国の助成金なども受けて準備を進めてきた。
しかし、国の助成金を受け取った3日後に震災が発生。屋台を保管する小屋は約1・5メートルの高さまで海水に漬かり、組み立て前だった上半分も黒ずんだヘドロにまみれた。
屋台製作を請け負った大工の川崎保夫さん(70)は、修復時の苦労について「(汚れを取るため)上半分の部品は全部削り直しで、金属の部品は全て交換。本当に大変だった」と振り返る。
新しい屋台は幅約3・5メートル、長さ約5・4メートル、高さ約5メートル、重さは約5トンで、中央上部に獅子と麒麟の彫り物が目を引く逸品。土台部分には、震災の記録のためあえて残した汚れがある。
町内会長の渡辺国雄さん(78)は「震災で一時はどうなることかと思ったが、皆さんの協力で立派に完成させることができた。この屋台で祭りをいっそう盛り上げたい」と来年の祭りを心待ちにしている。